「サバイバルは当たり前」 羽生善治が語る 仕事困難な砂利道が面白い 2006/01/08 一通り仕事がわかると落とし穴がある  誰でも、何もわからないというところから仕事をスタートするのですが、学ぶべきもの を全部聞いて、全部やってみて、ある程度積み重ねていくまでは夢中です。将棋の世界は まだ小学生のうちから入ってきますが、学ぶことが非常に多い。私も必死に勉強し、勝負 を重ね、そしてタイトルを獲得するという歩みでした。ところが20歳か21歳くらいでしょ うか、将棋はこういう指し方をすれば、大体こんな結果を予想できるのではないかとわか った気になっていた時期がありました。何でも一通りできてしまうと考えていたのです。  でも、それはとんでもない思い上がりで、ただ自分に見える世界だけを見ていたからだ と気づいたのです。それは、先人が舗装してくれた道を突っ走るという、簡単なことをし ていただけではないのか。20歳の私は、舗装された道なら早く走れる力をつけ、腕を上げ た。だが、砂利道や道なき道を猛スピードで突っ走れるのか。まだ舗装されていない道を 走ることが、私の力ではないかと思い至りました。  そのときから意識して砂利道を選ぶようになりました。でもそうすると試合には十中八 九負けるのです(笑い)。私なりのアイデアで勝負していくわけですが、いきなり試合を 落とすのでとにかく痛い。ただ逆に言えば、それを考え抜いて克服しようというやる気も 出てくるのです。失敗は覚悟で新しい形に挑む、私の将棋はそこが原点だと思います。 もがいて自分で考え初めて知恵となる  歴史ある将棋には、数え切れない定跡があり、それを学ぶことから始まります。また現 代の情報化時代では、単に覚えるだけならとても容易になりました。ただ、私が10代のこ ろはそのデータを記憶するということはほとんどなく、自分で、なぜこうするのかと考え 、やってみて、実際にうまくいったとか失敗したとか、そういう実践を積んで理解してい きました。本当にもがいて、格闘して自分自身のものにしたのですが、やはりそれが身に ついたと思っています。証明しろと言われるとできないんですが(笑い)。  いまは近道がたくさんある。方法論や習熟の仕方が確立され始めている。だから他の人 が研究してくれたルートの最短コースで、ある段階までいける環境があります。私の時代 には苦労して遠回りするしか道がなかったけれど、最短コースが目の前にあるならそちら で学びたいという思いもわかる。選択肢が増えている難しさを感じます。  それでも知識は、自分の力ではないのです。頭で覚えた記録や他の人の実績は、自分の 立場でやってみて体感し、理解しなければ力を持たない。知識を知恵にするまでのその差 は本当に大きいのですが、その距離を埋めていけるかどうか、実行できるかどうか。分か れ目は明確です。 経験に足をとられるな 2006/01/15 増えていく常識は迷う材料となる  実力を発揮していくには、やはり経験が必要であると思います。経験を積み重ねていく ことでわかる道筋もあるし、いたずらに恐れを抱かず落ち着いて物事に立ち向かえる。非 常に大切なことのひとつです。  ただそれは逆に、うまくいって成功した経験も、悪くなって失敗した経験も数多くなっ ていくことです。責任も重くなり負けるわけにはいかないというときや、悪い状況にある ときには、かつての苦い経験が頭をもたげてきて、どうしようかと迷う要因になってくる のです。今目の前にある戦局は過去の戦いとは違うはずなのに、自分の中に積み重なって いる常識が顔を出してきて、そちらの判断に引きずられそうになる。  そういうものに打ち勝つ力、打ち勝てる理性というか、踏み込む力が年を追うごとに必 要になってくるのではないかと思います。  私が10代のころに指していた将棋は非常に粗削りで、怖いもの知らずでどんどん前に進 んでおりました。実は危ない場面も多かったのですが、経験がなく未熟であるがゆえとも 言えます。しかし、それが勢いを生んでいたのかもしれません。一つひとつ石橋をたたい て渡ることばかりを選んでいると、その時々は賢明な判断に見えても、長い目で見れば活 気や勢いを失っていくことになるのです。常識的な判断が正しいかと言えば、必ずしもそ うとは限らない。それに頼ろうとする気持ちをどう振り切っていくか。今なすべきことは 何かを今考える。挑戦とはそういう進み方だと思います。 将棋はそのたびに未知の航海である  勝負の席に着くと、私は大きな海原に出て行くような気持ちになります。しばらくは想 定する中で進みますが、やがて気象条件は厳しく変化していく。暴雨風が襲ってきたり、 動きの取れない凪(なぎ)が訪れたりする長い航海を乗り切っていかなくてはなりません 。自分の持っている経験も、身に着けてきた力も度胸も総動員して次を決断していく連続 ですが、いざというときの判断は実は直感です。  自分が今日まで努力して積み上げてきたすべての力が働いて、無意識の中からぱっと出 てくる、その考えに従っていいと思うのです。いくら情報を集めても、何手も先を読もう と努めてもそこには限界がある。私も次の判断がつかずに1時間も長考することがありま すが、そのときは考えているというより、ただ、あちらがいいかこちらがいいかと悩みな がら漂っているだけで、何も考えていないのと同じことです。  なぜそう決断したのか筋道を立てて説明しろと言われてもできない。「ただ直感で」と いうのは人を説得しにくいものですが、おそらく土壇場での直感の7割は正しいと私は感 じています。体験や知識を土台にしながらも、さらに踏み込んでいく力を持っているのが 人間の本質ということなのかもしれません。追い込まれたときに発揮される力は必ずある のです。 いかにして力を磨くか 2006/01/22 強くなるための私のやり方  アマチュア時代から今日まで将棋の学び方は変わっていません。そのプロセスはシンプ ルに四つの段階を経ています。最初にするのはアイデアを頭に思い浮かべること。次はこ ういう手を使って対局しようと新たな発想を考えるのです。  そして次にそれがうまくいくだろうかとさまざまに検証していきます。盤に向かい、あ るいは前例を調べ、自分が考え付いたアイデアを成功させるにはどうすればいいのか、徹 底して時間をかけます。相手は当然強敵ですから、こう打ってくるだろうとか、あの手を 使うかもしれないと一手一手細かく検証していくのです。  新しいアイデアだと思っていても過去に同じ手が用いられたかもしれないし、類型があ ったかもしれません。その手は勝ったのか、どのような展開をしていったのか。最初のア イデアで戦うためにこの検証のプロセスは非常に大切だと思います。  そして実践に臨む。ところがどれほど検証して準備していても、相手は思わぬ手を打っ てくるんですね(笑い)。そうなったら直感を信じて進んでいきます。  対局が終わればまた検証です。相手や自分がどこでミスをしたのか、どの手を打ったか らアイデアが生きたのか、あるいは失敗したのか、細部に至るまで明確にします。ずっと 絶え間なくこの繰り返しで強くなれる。どの段階が抜けても、もろくなりますね。 満たされる気持ちを大切にしていく  いつも対局が始まる前には、やるだけのことはやったし、落ちついて明鏡止水の心境で いこうと思うのですが、実際にそんなことはできない(笑い)。平常心でいたいというの は理想であって、長時間集中して対局していると根気や集中力が続かなくなります。最近 よく言われる「切れる」瞬間が私にもありますが、そこでもうひとがんばりという心のあ りようが大事なのかなと思います。  また私は、勝負の世界にいながらも一戦ごとの勝敗にこだわるタイプではありません。 闘争心を持ってしまうとそれが空回りして、余分な力が入ってきてしまうし、いい手を探 すという行為のときにその感覚が邪念となって判断を曇らせるからです。ただ漠然と目の 前の盤面を見て、この状況をどうするかという視点を持つほうが、より洗練された判断が できると考えているのです。  対局によって充実感が得られるかどうか。勝っても負けても、例えミスが多かったとし ても、自分が思い描くいい将棋が指せたかどうか。そういう自分の中の満たされる気持ち を非常に大切にしています。長い間将棋の世界にいてもなお、毎回違う発見がある、学ぶ ことがある。それが私にとっては大きなやりがいだからです。 時代は走っている 2006/01/29 最先端から逃げない  将棋の世界も大変な勢いで変化しています。ルールは400年以上も変わっていませんが 、コンピューターによる情報の波は将棋の研究方法を明らかにスピードアップさせ、局面 のかなり先まで読みきるという状況を作り出しました。  たとえば若い棋士たちが集まって一つの戦型を徹底的に研究し、分析して体系的に学ぶ ことが当たり前になってきた。もちろん若い棋士に限らずプロは常に研究や勉強を続けま す。しかし、かつては個人と個人のぶつかり合いと考えられていた将棋が、新しい時代を 向かえ進化してきたとも言えます。新しい手はたちどころに知られ、研究、分析によって 学術的な領域にまで組み込まれてきたのです。  確かにスピードは速くなり、情報量も格段に多くなった。でも、その最先端から逃げた くはありません。研究し尽くされている戦型を知らなかったばかりに負けたなどというこ とが、プロにはあってはならないと思います。  私が過去に苦労して学んだ戦法は実践では役に立たなくなりましたが、大局を見るため には生きてきます。その上で一瞬たりとも気を緩めず、最先端の将棋の勉強をやり続けて いかなくてはなりません。たとえばアマチュアの大会で対局の相手をしているときでも、 見たことのない手であれば分析を怠りません。私が勉強をしている他に、どこで新しい手 が生まれているか、予断を許さないからです。本当に時代は音を立てて動いていると感じ ますね。 若い人の時間も過ぎるのは早い  35歳になる私も、20代前半の頃には時代のスピードについていくために努力するという 感覚はありませんでした。そのときの自分のペースが自分の力であり、そのまま未来がず っと続いていく気がしました(笑い)。しかし変化は確実に起きる。若い人には今、時間 の観念がほとんどないかもしれませんが、時代は走っていくし自分は年を重ねます。その 現実に向き合うことが大切だと思いますね。  将棋を続けたくて漠然と師匠についたのが11歳、小学校5年生のときですから、棋士を 一生の職業にするという意識は全くなかったし、他の仕事につくという夢も一度くらいは 考えてみたかったのですが、ただその厳しい一つの世界にずっと身をおいてきたから、時 代についていくことができたとも言える。進化し、技を磨き続けることがかなったのだと 思います。  あなたがどのような仕事を選ぶにしても、列に加わったからには勉強し、努力し、走ら なければならない。でもそれが社会や時代とともに生きるということなのではないでしょ うか。働かないで自由に暮らす選択をしたら、その時間は失われていく。私のように好き な将棋の道を選んでもそれは同じことなのです。