「勝負どころで迷いを断つには?」講師:将棋棋士 羽生善治氏 2007-02-24 <講演会> 「仕事がら黙っていることが多いですが(場内笑)今日は喋り続けるということで」と掴 みはOK。「題目はこうですが、普段から感じていることを中心にお話していきたいと思 います」ということで講演スタート。それではダイジェストで振り返りましょう。  「インタビューで棋士の方は何手読まれるか?という質問をよく受けます。それは実際 には困る質問なんです。確率論的には10の130乗の組合せと言われ膨大な数です。ではど うするか?直観によって2〜3手に絞りそこを掘り下げていくのです。カメラでいうとピ ントを合わせるようなものでしょうか?また大局観も重要です。攻める時か?守るべき時 か?それとも手を渡すべきか?相手の側に立って見る、もしくは中立的第三者となって見 れるように冷静な判断が必要です。終盤によくするのですが、終局模様を想定し自然な手 の選択をして辻褄を合わせることもします。元に戻って何手読むか?プロ棋士同士で議論 しましたが、10手先でも難しい、という結論でした。3手に絞っても3の10乗で5900 0以上通りにもなるのです。したがって対局中に常にピントを修正していくことになりま す。個人個人方向性を決める羅針盤が違いますがそこに正確さが求められるのです。」  「つき、運は確かにあると思います。だからギャンプルとか占いにはまる人がいると思 います。人間にはバイオリズム、波があると思うんです。将棋は結果がはっきりしている 、つまり因果応報もはっきりしています。時間に追われて指した手が正解だった、よく指 運という言葉を使いますがそういったものはあります。半歩リードされているとき相手の 小さなミスがあり逆に半歩リードしたとき、それも実感として得ることがあります。」  「情報化の時代についてお話しましょう。将棋界、昔はのんびりしていました。対局開 始直後の午前中はお互いの近況を話たりしていたのです。今では序盤の研究が進み決着が つくこともあるので朝から真剣です。水泳のバサロスタート、潜って距離をかせぐ泳法で す。将棋界もルールは不変だが求められるものが変わったと言えるでしょう。自分なりに 考えて対応していくことが重要なんです。」  「将棋界はその昔家元制度でした。保守的な部分もありますが、対局の始めと終わりに 礼を尽くすなどいいところはあります。ただ手筋については足かせだったかもしれません 。その手は王道ではない、その手は本筋ではない、など形式にこだわることが大半でした 。ここ10年はいろいろ試すようになってきたので戦法の可能性は広がりました。ただ、 見たこともない手は拒絶感はあります。勝負に雑念は禁物なので出来る限り白紙の気持ち を持てるよう心がけるようにしています。」  「棋士生活20年、経験を重ねるということには良い点、悪い点があります。良い点は 、うまくリスクを避けるようになりました。若い時はせいぜい1手か2手しか選択肢があ りませんでした。しかし悪い点は、楽しようではないが平凡な手をさすことでしょうか? また多くの手が見えるようになるので選択肢が増え迷いが生じることもあります。振り返 ると、若い時は選択肢がなかった分危険もわからず指していますが、勢いとなって流れを 呼び込むことも実際あったと思います。現状では、アクセルを踏み込みすぎているのが丁 度いいくらいだと思うようにしています。」  「30代も半ばを過ぎるとホント忘れることが多いです。自分のインタビュー記事の内容 すら忘れていたりします。しかしちゃんと理解したものは覚えています。つまり情報、知 識として得たものを吸収し自分の血肉になって初めて生きるのです。そしてひとつひとつ の理解が有機的につながって”あ、そういうことか?”とわかることも出てきます。一方 、若い時に研究したことは今実際役に立っていることは悲しいかな、何ひとつありません 。しかし無駄なようだけど無駄ではありません。問題へのアプローチ、プロセスが重要だ からです。新しい問題にぶつかったとき、そのアプローチやプロセスは今も生きています 。」  「”玲瓏”とは澄み切った気持ちで先々まで見通すことを言います。この心境が理想で す。しかしそれを妨げるのがプレッシャーです。プレッシャーは自分ができるかできない か、その境目にあるとき受けます。それはその人の器量に依存するものだと思うんです。 プレッシャーをひとつ乗り越えればその人にとって大きなブレークスルーになるとも考え ます。また、違う視点で見ることも大事です。大きな勝負のかかった対局、しかし将棋を 知らない人からすればどうでもいいことなんです。」  「人は元来怠け者だと思うんです。誰でも楽したい。でも本当のピンチを経験するとき 、潜在的な力を発揮すると思うんです。また安定することはないんだとも思っています。 調子はその日にならないとわからない。なので、じたばたしても始まらないと根拠のない 楽観をしています。」  「ファンの方からよく”頑張ってください”と声をかけられます。調子がいいときは平 常心で聞けますが、調子が悪いときはカチンときます(苦笑)”頑張っているんだよ〜” と思いつつも”あ、どうも”と応えたりします。”キレる”というのも自分にはよくわか る気がします。集中し過ぎて考えられなくなる。内に詰め込みすぎると”キレる”気持ち は起き易くなります。処方箋としては健全に発散することでしょうか?」 <質問会> 質問@ 勝負の日、体調が悪いときどうすれば良いですか? 特に2日制では出足で調子が少し悪いときの方が結果がいいこともあります。「棋は対話 なり」と言うように相手の調子に引っ張られて調子が上向くこともあります。 質問A 「決断力」の中で、真似をする、学ぶ、理解すると出てきますがもう少し詳しく 教えてください。 他人の話を聞いたり、本から得た知識から”真似”をします。関連する”真似”を積み重 ねて”学んで”いきます。それでは一歩進んでこうすればこうなると”理解”します。例 えば棋譜。PCの画面だけではすぐ忘れがちです。自分でどうなのか?と思うときは必ず 盤と駒をもって手を動かします。五感を使った方が身につくと思うのです。 質問B 勝負事、無謀とチャンレンジの違いを教えてください 新しい手を試してうまく行くのは感覚的に3割です。ああ、やめておけばよかったと思う こともしばしばです。そこでこの手は3回までやろうとか勝手な基準を設けます。この新 しい手は不調な時ほどチャレンジできます。調子がいい時は流れを止めるかもしれないか らです。 質問C 升田将棋との違いについて教えてください。 升田将棋は、”新手一生”を標榜し、今から30年も前でありながら現代のスピード感を 備えた将棋でした。ただ、相手が呼応してくれないところっと負けたり、はまったときに は切れ味鋭く勝ったりと、アンバランスな将棋でもありました。風貌は写真を見たことが ある方はご存知のように”仙人”みたいな人でした。 質問D 現状自分より上だと思う人と対戦する場合はどうしますか? 大きな差があるときは思い切った作戦をとります。わずかな差しかない場合には、普通に 指します。 質問E ”月下の棋士”の氷室将介は羽生さんがモデルですか? 違います(笑)”月下の棋士”は業界では誰がモデルか皆だいたいわかっています。作家 能條純一さんともお話したことがありますが、登場人物の名前には必ずモデルの人の名前 が入っているんです。6〜7年前にテレビ放映がありました。そのときは将棋会館へ来る 子供達は一様に帽子を被っていたりしましたが、明らかに氷室将介の真似だったですね。 質問F 営業ですが2位にはなれてもなかなか1位になれません。佐藤棋聖に気持ちがよ くわかります。ちょっとした違いだと思いますが・・・ 時代とのマッチングというのもあると思います。そのときの流行が棋風にあっていれば少 し有利になります。盛んに研究されている局面では他の人がすでに思いついていることが 多いのです。結論が出ていない局面においてどう対処するか?が肝心です。でも、最後は ”気合”でしょうか?(^^) 質問G 羽生さんは凄く普通に見えます。将棋以外で他に趣味などありますか? 棋士に対して偏見を持たれているのではないかと(場内笑)今の20代の棋士の人たちは ホントごくふつうの若者です。ふつうというよりは皆しっかりしているのではないでしょ うか?プロの棋士への養成機関でもある奨励会も師匠が教えてくれることは稀で自分で勉 強するしかありません。早くから負けたときは自己責任と意識づけられています。 一日中将棋盤を見てそれを1ヶ月続けたら気が狂いそうです。息抜きとしては、何も考え ずぼーっとしたり散歩をするのが趣味ですね。 質問H 重要な対局でどうやって迷いを断ってこられましたか? 対局で何が厳しいかと言えば"時間に追われる”ことです。皆さんも〆切りがあるかと思 いますが時間に追われる事ほど辛いものはありません。勝敗では、10代の時の方が3〜 4日落ち込むこともありましたが、時間が解決してくれました。 質問I ”決断力”で直観の7割が正しいとありますがもっと比率が高いと思うのですが ・・・ 厳密に統計をとった訳ではないのでわかりませんが、将棋の場合、感覚的に直観のまま指 すと3割は負けます。直観は過去の知識の積み重ねによって生まれるもので、迷ったとき は再度直観に戻ることもあります。 質問J 羽生さんはご自分では”ふつう”と思われますか? 自分ではごく標準の日本人だと思っています。もっとも何をもって”ふつう”か”ふつう じゃない”かわかりませんのでよくわかりません。 質問K 深い思考に行くにはどうすればいいですか? 深い思考にはいきなり行けないので”助走”が必要です。ただ、当日の体調も影響します し、考えがいがある場面かというのも重要です。これらが整えば車のギアが入るように深 く考えられます。 質問L 羽生さんにとって人生の価値観を聞かせてください 日々発見することですね。例えばおいしいラーメン屋さんが見つかった、とか、些細なこ とでも何でもいいと思います。 質問M 結婚を考えています。結婚感について教えてください。 棋士は一人で受け止めることが多いです。独身のときはまさに一人で責任を背負っていま した。家族ができて子供に癒されることもありますし、独身時代より気持ちが安定してい ますね。 質問15 羽生さんの棋士としてのゴールは何ですか? こういうものになりたいというのはありません。さきほども述べましたが、日々の発見を 重視しています。 質問16 夫婦ゲンカはしますか? 子供が学校へ行くようになってから奥さんは忙しく夫婦喧嘩どころではないようです。ま 、対局日前日などは気を遣ってもらっているんだと思います。 質問17 講演の中でバサロスタートの引用がありましたが・・・ 水泳のバサロスタートは水中で潜っているため抵抗が少なく水面に上がったときはより前 に進んでいます。たくさんの勉強や研究をしているときは成果がすぐに表れませんがその 量が質に転換したときもう一段上の実力となった表面化すると思うんです。 質問18 谷川さんとの対局は毎回違うものになるとお聞きしましたが・・・ お互いに過去の戦型を覚えていてお互いに変化しようと思って対局します。対局が終わっ たあと将棋では観想戦をするのがならわしです。野球やサッカーでは勝者がインタビュー に応えることはありますが敗者も一緒にというのは不思議かもしれません。この観想戦は 一局30分から1時間行われ、主に個人のスキルアップのために行われます。 質問19 羽生さんの勉強の仕方について教えてください ええと、決まっていません(^^;詰将棋を解いたり、他の人の棋譜を並べてみたり、思いつ いた手の研究をしたりしています。特に勉強の時間に制約をつけないのが特色でしょうか ?例えば8時間と最初に決めていると自然とペース配分してしまうからです。気分が乗っ たとき深く考えるようにしています。棋士仲間で研究会といういのも行ったりしますが気 の合ったもの同士違う方向に行ってしまうこともしばしばです。真剣に考えたいときは一 人で行うことが多いです。 質問20 将棋以外のものは将棋の”こやし”になりますか? スポーツ観戦はよくします。中でもテニスは将棋によく似ていると思うんです。どこが似 ているかと言えば、総合的に点を取っていても勝てない、例えば7−6、1−6、1−6 だとすると負けてしまう点です。どう見てもそれはラインアウトだろうと思っても審判へ クレームを続ける選手もいます。ああ、流れが悪いんだな、と解釈して見たりします。 質問21 中終盤の手渡しは? 実は自分の手番で戦局が決まるときほど苦しいと思うんです。相手が手番をもっていると きの方が自分が何もできない分楽だと思うんです。プロ棋士はよくやるのですが、可能性 を残しつつ相手に手を渡すことは高等戦術として重要なんです。ただこれは気持ちにゆと りがなければなかなかできません。しかし自分ひとりの力では何もかも全部できないのは 将棋でも同じなのです。 質問22 意思決定で必要なことは何でしょうか?現佐藤棋聖との竜王戦で昔、最初の一手 に数分使ったらしいのですが・・・ 最初の一手は7六歩か2六歩くらいしかなく、あのときはただ気持ちの整理をしていただ けだと思います。 質問23 プロ生活20年で成長したことは何ですか? こうして人前で話しができるようになったことでしょうか?(笑)人前で話しをするのは できることなら避けたいと今でも思ったりします。どうして講演の話が来るようになった のか自分でもよくわかりません(笑) 質問24 落ちていたお金を拾わず後で後悔しますか? 後悔はします。ただ、そうなってしまったのは仕方がないと思うと思います。余談ですが 、大阪で昔財布を落としたことがありました。交番に届出たのですが、30分後拾って届 けてくれた方がいて、もう返ってこないだろうと思っていただけに、凄く嬉しかったです 。 質問25 今日の講演で1番のトピックスは何ですか? 自分自身を信じられるか?でしょうか。自分は自分のネガティブなところを誰よりもよく 知っているので、迷いを生じることになります。ただ、他の人と同じと思えば怖くありま せん。自信をもつこと、そして心の安定をもつことは重要だと思うんです。 質問26 オリジナルの戦法について教えてください。 歴史のある将棋界でも何年かに一回の割合で出てきています。限界までやって出てくるも のだと思います。 質問27 二児の父親として子供の教育はどう考えられていますか? おかしなことをやっても怒りすぎないのは重要だと思うんです。否定せず様子を見るよう にしています。 質問28 今日の出会いで聴講者に期待するのは何ですか? 大それた期待というのはありません。ただ、これをきっかけに、何かを考えてもらえれば 嬉しいです。”少し”を積み重ねると大きな”たくさん”になります。コツコツやること 、継続することは、ものごとをうまくなろうとすると重要だと思うんです。 マスメディアについて述べたいと思います。対象が大きくなればなるほど、多数の人に理 解してもらえるようにと、情報が薄くなっていると思うんです。このような講演の場では 、情報の密度は大きいと思うんです。 質問29 羽生さんは何故勝てるのですか?何に起因していると思われますか? 自分は、戦型にあまりこだわらない、オールラウンドプレイヤーであるというのは大きい と思います。また、違う手が出てきて対応策を打ち出していくことは、自分のスタイルに 合っていると思っています。少しだけでも半歩前にいればいいと思うんです。 質問30 20年前何を見ていましたか? 中学生のときは対局に無我夢中だったので何もなかったと思います。今となっても見つけ られていません。目の前の対局の中でひとつひとつ新たな発見をすることが目標であった りします。 質問31 モチベーションを保つにはどうしたらよいでしょうか? 無理しないことだと思います。自分のペースを崩さないことが重要だと思うんです。 ご清聴ありがとうございました。 ◆番外編:講演会終了後管理人自ら羽生先生にアタック(^^) 羽生先生、最近研究会はいかがですか? メンバーは、ええ、森下さん、木村さん、松尾さんなんですが、森下さんが理事になって ご多忙なので最近は休止状態ですね。落ち着いたら再開するとは思いますがいつになるこ とやら…(^^;  なるほど、研究会メンバーは2002年前後から変わっていないんだ、と確認させていただ きました。