上智大法科大学院特別講義 2006-07-31 <プロローグ> 棋士は人の話を聞かなくてもすむ職業だって事を実感しました。羽生さんだけじゃなく、 非常に人当たりのいい最高の司会をされていた教授も同じだったので、知的専門職に多い 現象なのかとも思いましたが。 質問の時間を沢山取っていただいてよかったのですが、そのひとつに「頂点を極めてしま った後、練習はどうされれいるのですか?」というのがあって、私などの庶民には、格闘 系アニメで最強のキャラが「もう(最強になってしまったので自分の力に見合う)練習相手 が居ない」って嘆くシーンがすぐに思い浮かぶのですが、羽生さんはピンとこなかったら しく、後半の「練習をどうされているのですか?」だけに答える回答をしていて、いぶか る質問者をみてフォローされた司会の教授もなにか変わった特別の練習方法をされている のかとこれまたずれた理解をされていて、頂点を極めるためには、自分の目指すものだけ の世界に入っていってないと難しいのだろうなと、お二人とも格闘系マンガの世界とは無 縁の生活をされていて、そうじゃないと頂点や一流にはなれないんだと感じました。とす ると、私もしばらくこの板から・・・ということなんでしょうが、それはなかなか難しい 。他の無駄を削りましょう。 一般的には、プロ棋士や最強レベルのアマチュアが共有しているフィールドがあって、そ こで生活しているから、それが世界だって思ってしまう危険が有って、これは棋士に限ら ずあることなんですが、普及は、プロから最強のアマチュアへ以外の道は意識せずに想像 もしていないんだろうなって思いました。 ちなみに、上の質問の羽生さんの回答は、将棋といっても分野が細分化していて、それは 全部しることは不可能なほどであって、そういった意味では、自分が極めていない分野は まだまだたくさんあるから大丈夫といったお答えでした。 まだ、本編にはいらないんですけど、将棋の道を選んだ理由を高校生から質問されたとき のご回答。道を決めたのは12歳の時とはっきりお答えになった後、「選ぶというより漠然 と」とおっしゃって「親は将棋をほとんど知らなくて、全然ある意味介入する余地がまっ たく無かった。非常に気楽にできた」「もし、親がすごく将棋に詳しくてすごく積極的に やれやれといわれていたら、天邪鬼なのでやってなかったような気もします」 羽生さんというと、多くのファンにとってのイメージはやさしくて人のいい優等生なんで しょうが、天才として頂点を極めるにはやはりそれなりのゴロッとした石ころみたいなも のが心におありなんだなって。まあ、当たり前といえば当たり前なんですが、今更感じま した。 たぶんこの性格だと将棋のように絶対評価のある世界じゃない、他人の感情が評価基準に なっている世界では、あたら才能を無駄にしてしまう危険が十分あったでしょう。それは 、羽生さんに限らず多くの棋士にいえることなんでしょうが。というか、棋士に限らず天 才に共通することなんでしょうが。 この部分で真逆なのが瀬川さん。コンピュータソフトの世界にいたほうが、たぶん世の中 のためには役立っただろう人が、将棋に魅せられて、道を誤った?かもしれない。10年後 もあの笑顔があるのだろうかとか、20年後の生活とかを心配してしまいます。 「偶然を楽しむゲームは実に面白いものだけど・・・」 竜王になられた時だかのインタビュー記事で、「TVゲームは面白すぎるのでやらないこ とにしました」とおしゃられていますが、将棋もゲームの一部といえば一部なんで、じゃ あどこが違うのっていうことは、考えられていたんだと思います。その結論でしょうか。 遊びのゲームとの違いは、もしくはアマチュアの将棋との違いは偶然を楽しむ所があるか どうか。 麻雀なんかは私は最近ネットで始めちゃったんですけど、強い人は技術もありますが、引 きが強い。配牌のよさ、引きの強さは技術では補えない。強い人はこっちの聴牌の直前に 当たり牌を捨てるし、逆にこっちは相手が聴牌した直後に当たり牌をつもる、しかも満願 聴牌してるから勝負。これは、どうにもならない。 麻雀を知的ゲームにするには全員の手牌をオープンにしてという方法があるのではと思う 。ちょっと話がずれましたが、一部の棋士が好きな競馬も偶然を楽しむゲーム。羽生さん が一時期やられていたトランプや人生ゲーム(でしたっけ?)をおやりにならない理由も判 明しました。 弱いアマチュアの将棋の場合は、無い手を指しても相手は「偶然」とがめ方の定跡を知ら ないので、かえって有利になったり、自玉が必死になってしまう順でも「偶然」相手がそ の順に気づかずにこちらが2手スキをかけて勝ってしまうとか。こじつけですが、偶然に 左右されるゲームといえます。相手が勉強怠けているうちは偶然が必然の様に繰り返され ますが・・・ スランプに陥ったときは、まずは、実力じゃないかと考えてみるともおっしゃられて、そ の辺については厳しい態度を貫いていらっしゃると感じました。 <本編> もう5年以上たつでしょうか、調布だか府中だかの大学でやられたときは、コンピュータ 将棋プログラムで有名な教授の質問に答える形でしたが、今回はテーマに沿って独演40分 。メモなしで、よどみなくすらすらお話されていました。 邪推ですが、新書の内容およびNHKでしゃべった5時間を今回のテーマである決断力に 沿ってまとめられたのだと思います。誠によどみなくお話されました。普段はというか、 お仕事中つまり対局中はほとんどしゃべらないんですけどとテレながら、でも、ご自分の 考えをまとめてしゃべることを嬉々として楽しんでいらっしゃるご様子も有ったことは、 さすが緊張慣れされていると思いました。 ただ、内容は5年前にたくさんあった、「えっ、こんなことまでしゃべっちゃっていいの ?」ってことはなく、講演会という伝達力が限定されている場での内容に、必要かつ十分 な内容で構成されていました。それでも、将棋についての理解が無い人には難解か退屈な のか、大学の授業のように、寝ちゃう人もちらほら、終わって帰り道では「哲学的だった ねぇ」ってしゃべっている大人の方もいました。 将棋の対局における決断力について、非常にわかりやすくお話されたと私は聞いたんです が、基本の将棋についての常識を持っていないと、わからないことも多かったようでした 。 なまじっか将棋のルールは知っている程度の人だと、かえってわからなくなることが多い のかもしれません。 将棋の可能性で羽生さんがおっしゃった10の130乗という数字も、宇宙がビックバンで50 億年前にできたとして、半径50億光年の球の中に原子核を構成する陽子を隙間無く詰め込 んだとしてその陽子の数(0.5×10の130乗(陽子の直径1×10の-15乗で計算))よりも多い数 字だっていうことをわかっておられるのか非常に怪しさを感じました。計算するだけで解 るのに。 ここが解ると、千手くらい読んでも(この数字はご謙遜でたとえば100億手くらいとしても )それはごく一部でしかないって意味が理解できます。 ※ちなみに陽子というは原子よりかなり小さくて、一つの原子の中に4000兆個の陽子 が入ります。こんなに詰め込んだら核融合とかブラックホール発生とかという話はなしで すけど。 宇宙の大きさも、別資料で1×10の25乗で計算すると、2.3×10の27乗で計算し た結果より約200万分の1ほどの小ささになります。宇宙の膨張速度は光速よりちょっ と遅いんでしょうか?それとも50億年もたってないんでしょうか? 羽生さんは将棋の次の手を指す時の「決断力」について話されたんですけど、次の手を指 すイメージが無いと、そもそも訳の判らない話ですから、そこのところを。 駒の動きを一生懸命覚えたばかりの人に、無謀にも指してみろと強要すると、「ええとど れを動かそう?たくさんあるから迷っちゃう。うーん、王様にしよう」って具合に、動か せるたくさんの可能性の中からある基準で(王様が好き)動かす駒と動かす場所を決めます 。迷うのは、上と右上、左上と3つ動かせるけどどうしようって所で、そして、えいやっ とそのときのフィーリングで右上を選択したりします<例1>。 初心者でもちゃんとした指導者にめぐり合うと、初手は76歩か26歩にしなさいと教わりま すので、上記のようなことはまったく考えません。ふたつのうちどちらにしようか迷うだ けです。 数回指して、振り飛車が覚えやすくていいやってことになると、初手は迷うことなく76歩 です。 振り飛車等の場合は、初手に関してはプロになるまで、初手は迷わず76歩というのは、ほ ぼ一緒です。ほぼというのは、駆け引きで初手16歩や96歩を考えたり、66歩でも結果は同 じで相手に多少の動揺を与えられるとか、乱戦を目指して36歩を考えたり、格下と見下す と86歩を考えたりもするからです。でも、基本の手は76歩だというのはよく知っていて、 その変化としていろいろあるのを知っています。 初手はこうですが、初手でなくてもプロは初手の76歩の様に、次に指すべき手は瞬時に頭 に浮かびます。将棋を知らない人がイメージする例1の様なことは全くしていないのです 。 すぐ頭に浮かぶんならすぐ指せばいいのにって思う人は、将棋をじゃんけんのちがいがわ からない人です。 将棋は勝とうと思って指しますから、例えば120手の将棋では半分の60手を自分が指すの ですが、全部正解手を指さないと勝てないんです。敗着はこれなんていわれたりしますが 、その敗着を指して負けてしまった人でもそれ以外の59手は正解手を指しているんです。 そうすると瞬時で思い浮かぶ手の正解手率は限りなく100%に近くないと勝てないんです 。 弱い人同士ですと、相手の指した敗着を正確にとがめる正解手を指すことはできませんか ら、お互い敗着を指しあって、最後に敗着を指したほうが負けってなってしまいますが、 プロでは、相手が敗着を指した局面では、その後敗着を指す人はほとんどいません。敗着 が指されると、局面の複雑度が急に下がりますので、難易度が一定以上下がってしまった 局面で、正解手を指せないプロは居ないからです。(敗着が微妙で、正解手が見つからな くて当然という場合もあることはあるんですが) で、思い浮かんだ跡でもすぐ指さずに、本当に正解手かをチェックしているのが考量時間 というわけです。ソフトプログラムでも、バグ取りの方がはるかに時間がかかりますよね 。プロが考えているのは頭の中のバーチャルな将棋盤でデバッグ作業をやっているのです 。 デバッグもどちらかが詰むまでに至れば、バグの有無がわかりますが、そこに至らない場 合、途中局面の比較になります。 この途中局面をどこで比較するか、いくつで比較するかがプロの力量です。ただ、一見悪 そうだけど実はいいなんて場合もまれにはありますから、そういった場合はさらにその局 面からデバック作業を行うことになります。 プロの考量時間は、デバッグ時間だってところまでで。 ソフトプログラムなんかは、デバックたくさんたくさんやっているのですが、それでもバ グはなくなりません。世界でもっともデバッグされているwindowsでも、大きなバグはあ りませんが、小さな不具合は無数といっていいほど存在します。完璧になくすことはでき ない。ある専門家が自信を込めて「バグの無いプログラムはありえない」っていってます 。でも、バグが小さくである程度少なければそれは非常に優秀なプログラムです。 将棋の手も、そうなんです。NHKで羽生さんが終盤手が震えることを質問していました が、ここで負けたら勝つ将棋が無くなると言う局面で指す手でも、バグのある可能性が完 全にゼロとはいえないことを知っていて、なおかつご自身の血液をそのチェックのために すべて使ってしまうので、震えを止めるなんて無駄なことに使う血が無いってことだと確 信しています。 で、大山名人の手なんです。 羽生さんがいう、大山名人の手なんですが、デバッグしてないてなんです。当然バグはあ るのですが、そのバグを相手が見つけるためには、相手は大山名人の指し手をデバッグし なきゃいけないんですが、デバッグに必要な時間と相手の残りの考量時間を比べると、前 者が圧倒的に多い手を、ぱっと見つけて指されるんだそうで。いわゆる直感ですけど、N HKで羽生さんが言ってたように、この直感は長年のトレーニングの蓄積で生まれるもの で、素人の「エイッ、ヤー」とは、まるで違うものなんですけど。 将棋の差し手は、形勢が互角のうちには急によくなる手は無いもので、例えば、一手指し てしまった後に局面の複雑度が増大するような手はこういった意味で敗着になりずらい。 このデバッグ、なにも試合当日しかしてはいけないってものじゃありません。20年くらい も前になるでしょうか、谷川さんはこのことを否定的に発言されていました。同時は「穴 熊したら破門」とかいう迷信が将棋界ではまかり通っていた暗黒の時代ですから、翌日順 位戦を控えた棋士でも先輩のお酒の誘いを断らないことが美徳と将棋機関紙に載せていた めちゃくちゃな時代ですから、その風潮からすると、しかたのないことですが、この事前 デバックをやった結果を知っていて、そのデバックはもち時間内ではとても終わらない大 量なもので、その変化に知らずに入ってしまうと、そして、結果の出てしまっている変化 だと、その手を指した瞬間に「お前は既に死んでいる」 これも、程度問題なんで、例えばお互いに2手ずつ飛車先を付き合った後、先手が何の防 御も無い角の頭を狙って▲24歩と攻めてはいけないのは、常識として知ってうるべき事前 デバッグ結果ですし、大山名人の様に相手が居飛車ならこちらは振り飛車、逆ならこちら は居飛車って決めていると相振り飛車の研究は知らなくてもいい変化です。 この事前デバッグ、自分が実践で選択する手については、しておくのが今の将棋界では当 然です。古い時代で他にもしてない人はたくさん居たのですが、事前研究をやってないの にAクラスにいた最後の棋士は石田九段、事前研究してなくて、でも対局時間内のデバッ グもしくは優れた対局感で研究結果と同じ手を3手も4手もさせるすばらしい天才でした が、さすがに5手目は間違えてしまいます。 馬鹿な相手がこちらの事前デバッグに気づかすに結論の出ている変化に飛び込んで来てし まえば、それ以降の考量時間は過去のデバッグ結果を思い出すのと、念のために再確認す るだけのために使われます。基本的にはパッと指せますが、そしてそれは過去の蓄積から 来るものですが、それを指して羽生さんは「直感で指す」っておっしゃっているのではあ りません。 馬鹿じゃない相手は、対戦相手の研究にはまらない様に、相手の手を殺すように指してき ますから、馬鹿じゃない相手と指していると研究していない局面が出現します。この時に 、類似局面での最善手の知識を才能的に総合して、どれと似てるかをセンスで感じて、そ の結果浮かぶ手を「直感」っておっしゃってます。 ※学問でもそうですよね 例えば歴史で織田信長について書くとしたら、今までに織田信 長について書かれた書物は一通り読んで、巻末にずらーっと掲げておきますよね。その量 は、例えば20年前と今では倍以上違うでしょう。それらを、まとめただけでもりっぱな レポートになってしまうほどですが、あえてそれでも、僕は織田信長について新しい見方 を発表するって人と、なら、僕は佐々成正にしようって思う人といます。 ともかく、そういうことで、今の将棋の最先端は学問と非常に近い形になっています。 違うところは、同僚の学者の「ほー」の数で偉く慣れるんじゃなく、研究結果を実際に使 って勝った勝ち星の数で評価されるとことです。まあ、厳密に言うと研究だけで勝てるも のでもなく、終盤術や勝負術、知的体力も必要ですから、そういう意味ではスポーツにも 似ています。 羽生さんが未知の局面において次の手を選択する時は、剣豪同士の決闘で、じりっと、砂 利を踏む足がわずかに動いて1cmくらい間合いを詰めるような手を選択する。というのが 、テーマの結論みたいなもので、 ちゃんとしたプロ同士の対局で生じる、変化無限の局面において、でも、次の着手を決断 しなくてはいけないときは、大局観や手の流れなんかも考えたりはするけど、複雑さを維 持するような、でも微量とはいえ前に踏み込んだ手を選択されるそうで、後ろに引いても どうせ相手は間合いを詰めてくるから、引いた意味が無いそうで、 達人同士になるとおいそれとは技はかからないので、相手が動いたことによるきっかけで 手を作っていくほうが簡単らしく、ただ、動かれたらそのまま攻め切られてはもちろん負 けなので、局面を無理に単純化してはいけない、 観戦記などでは、羽生さんが相手に手を渡す度胸に感心しているのが多いけど、攻めざる を得ない状況を作り出しているわけで、それで相手が攻めてきてくれれば、それはこちら の術中にはまったわけで、 攻めきれない手順でも、途中までやって手を渡すということが最善の選択であるというこ ともあるわけで、 剣術で言うところの「後の先」ってやつに近いでしょうが、剣術の「後の先」というのは 、相手が打ち込むのを刀の動きより前の、手の動きより前の、目の動きより前の、気配で 察知して、刀を振り下ろし始めて振り下ろし終わるまでの100分の1秒の相手が無防備 (刀は振り下ろしている最中なのでそれ以外には使えない)な時を、狙って攻撃するという ものですが、 将棋は1手ずつ手番がやってきますので、違うといえば違うんでしょうが、似ているとい えば似ているんでしょうか。 終盤のプレッシャーについてもお話されてます。終盤はプレッシャーの中で決断している ので、「私がどうやって決断しているかということを言うには必要な部分」って所でしょ う。 プレッシャーを感じるかどうかは自分の能力とこれからやろうとしていることの関係によ るって、走り高跳びの例を出して、「150cm跳べる人は120cmを跳ぶにはプレッシャーを感 じないが、130cmしか跳べない人は120cmを跳ぶ時にプレッシャーを感じる」と。 羽生さんは200cm跳べるので、終盤では120cmの手ではなく、190cmの手を指すのでしょう が、それでもプレッシャーは感じてしまうって意味だと思います。仮にこれ以上終盤力が ついて210cmの力がついても、その時は200cmの手を指すのでしょうから、プレッシャーは 常について回る。ただ、形勢が離れてくると、もう120cm以上の手がなくなってしまう場 面になります。その時はプレッシャーなしでさせることができるので、能力を上げる意味 はあるのですが。(投了図以下の解説って言うのがありますが、投了図では50cm程度にバ ーが下がっていますから、陸上やっている人は誰も落とさない。でも日本人全部でいうと 半分以上の人がバーを落としてしまうでしょう。だから、解説) また、プレッシャーの中では、普段見える手が見えなくなっていることもよくあって「後 で冷静に考えてみるとこの一手じゃない」って言うこともあるんですが(だから10cm下げ るんだろうとは想像しますし、震えは10cmしか下げていないことと、10cmも下げてしまっ ていることと両方の理由からだと空想します)、冷静になって考えることも、プレッシャ ーの中で考える練習をするのも両方大切だとおっしゃってました。 スランプについても話されています。スランプに陥ったときはどういう風に指し手を決断 するかってことですね。 まずは不調じゃなくって実力じゃないかって考えるのはいいましたが、それで考えてみて 、不調な場合は、バイオリズムの波ってお考えになるようで、波なので、下がった後は必 ず上がる。長い目で見て、全体的で上がっていれば、一時的な低調は関係ない。 イチローがインタビューで、2日連続ヒットなしとか、逆に5打数5安打なんかは、一時的 なこととコメント出さないように、年200本だけを考えている態度に近いと思います。 だから、不調対策はあまり大変ではない、むしろ好調のときが大変だとおっしゃってます 。 そのままで維持できるのはその一つの波だけなので、波の上にいながら次の並みのときに も大きく上がれるようなことを仕込んでおかないと、上がる波がだんだん小さくなって、 全体的には下がってしまう、時間は一方にしか進まないので、今の波の高さを作っている 要因はもう二度と使えることは無い、似てはいるだろうけど、まったく同じでは、同じ高 さには上がらないことをおっしゃっているんだと思います。 ※波の長さはイチローとは違って長いですけど。イチローは1シーズンで考えますから、 半年ちょっとの長さですが、羽生さんは3ヶ月から半年は短いとおっしゃってました。5年 10年15年20年のスパンっておっしゃってます。スパンが20年だとすると、40歳過ぎて七冠 なんてこともあるんでしょうか。