羽生王座と二宮清純氏対談──「と金」の活用術 2006-08-29 --------------------------------------------------------------------------------  昨年刊行の『決断力』がベストセラーになるなど勝負術や発想法が注目される羽生善治 王座と鋭い評論で知られる将棋好きのスポーツジャーナリスト、二宮清純氏が対談した。 サッカーと将棋の共通点から名将論や組織論など話題は多岐に及んだ。 ■サッカーと将棋 羽生善治王座 二宮 羽生さんは今年のサッカー・ワールドカップはご覧になりましたか。 羽生 はい、見ました。 二宮 サッカーと将棋が似ているところは地政学。つまり、どこを崩していくか。日本代 表は戦術も組織力も世界と比べて劣っているわけではないが、最後の決め手を欠いた。 羽生 将棋の対局では、自分が少し有利という場面が一番迷う。多少不利か明らかに劣勢 のときは、思い切ったことができる。将棋を指していて精神的に大変なのは少しリードし ているときだ。  サッカーでいえば、1点リードで残り30分とか20分という場面。指揮官にとって一番悩 ましいし、実力も問われる。手堅くいくか、はっきり決着をつけるか。ある時点では必ず 決断しなければならない。  今年のワールドカップを見ていて、強豪国はうまく時間をつぶしてちゃんと勝つと思っ た。そこが歴史の差だと。 二宮 イタリアなんかは、時間のマネジメントが抜群にうまい。これは成熟の度合いの差 だと思う。将棋でもうまく時間をつぶしたり、使わされたりといったことはあるのですか 。 羽生 戦い方として時間を消費させるということはある。ただ、将棋は何手で終わりとい うことはないから、それはあくまでも持ち時間の中での話だ。対局中、落ち着いている時 間帯は非常に少ない。お互い、いろいろ考えても展開が分からない場面が多いから我慢比 べになる。 ■リスクをたのしむ力 二宮 将棋というのは相手が嫌がることをやる。羽生さんのような熟達のレベルになると そういうときでも冷静に対応できる。以前、羽生さんは相手が意表をつく手を指してきた とき、対応を楽しんでいる自分がいると言っていた。リスクを楽しむ能力が大事なんだろ う。 羽生 将棋は自分が思い描いていた局面にはほとんどならないので、どう対応するか。そ の場で何とかするという部分が非常に大きい。 二宮 対局していて相手の成長が分かることはありますか。 羽生 手を考えるときのアプローチにも傾向があって、年齢を重ねるごとに一直線の攻め 合いは避けるようになり、曲線的になってくる。だからスピード勝負の攻め合いより、曲 線的なねじり合いになる。より局面を複雑にするようになります。 二宮 いわゆる直線力から曲線力。局面を複雑にしていくということはそれだけ引き出し が多くなっている。キャリアを積んでいるから難しくなっても勝てる自信、根拠を持って いるということですか。 羽生 全く分からない場面、羅針盤が通用しない状況になったときでも、対応できる自信 や根拠がそういう方向に導いていくことはある。 二宮 それは、人生のエキスのようなものが落とし込まれることでしょうか。 羽生 経験で、いろいろな場面に出会ったときに、「前にこうやったらうまくいった」「 失敗した」「それなら、こういう手もある」など選択肢が増える。中には当然、リスクも 入っている。そのリスクにはどう対応していくか。いろいろなことを考えるようになると 、分かりやすく直線的なものはあまり選ばなくなる。 ■小さなミスが命取り 羽生 スピード重視という点では、将棋の戦術変化とサッカーは全く同じですね。 二宮 スピードと精度については、将棋とサッカーは共通する点がある。昔は1つ、2つ のパスミスは試合が進行しているうちに忘れ去られたが、今の将棋は1手、2手のミスが フィニッシュまで影響する。サッカーも同じで、いまはミスがほとんど許されなくなって きた。 羽生 将棋の世界でも最新型の戦いは、ちょっとしたミスが勝敗に直結する。将棋のルー ルは変わっていないけれども、競技の質が変わって、終わりまでの距離が短くなった。い まの将棋は水泳のバサロスタートのようなもので、ある程度のところまで進み、そこから 用意ドンで始まるから終わりまでの距離が短い。だから最初の段階でちょっとリードされ てしまうと、それが決定的な差になってしまう。 二宮 ある段階までミスなく進めてから、お互いのバトルが始まる。そこまでは波風が立 たないですーっと行ってしまう。 羽生 そうですね。もう牧歌的な時代は終わったのなかと(笑い)。 ■玉の守りは金銀3枚 二宮 サッカーを見ていて、どんな陣形が面白いですか? 羽生 サッカーのスリーバックとかフォーバックとは、将棋の守りと同じ。「玉の守りは 金銀3枚」という格言がある。金銀3枚で守るか4枚で守るか。相手の動きを見ながら、 自分の陣形を決めるところは似ている。攻撃的にすれば攻めがうまくいく確率は高くなる が、守りは薄くなる。 二宮 飛車角はフォワード。いわばツートップ。 羽生 ラインの押し上げは、位を取ることに似ていて、隙間ができるから狙われやすい。  いまの将棋で一番の要素はいかに主導権を取るか。主導権を取れば、次から次にうまい サイクルに入る。だから、差し手争いに大きな力を注ぐ。 二宮 陣形的に不利でも、主導権を取っているとプレッシャーを掛けられる。  羽生 そう。ただ、サッカーは引き分けがあるので、いろいろな戦術が出てくる。将棋も 同じように手堅くやれば、急に負かされることは絶対にない。 ■名将は名シェフ 二宮 フランス・ワールドカップを取材に行ったときに、地元のジャーナリストと名将論 になった。彼は、優秀な監督は名シェフと一緒だという。いまある食材で最高の料理を作 るのが名シェフだ。食材を人材に置き換えたら、名監督になる。将棋でいえば、いまある 手駒の中でどう料理するかだ。楽しい作業である半面、予定通りにはいかない。塩、コシ ョウをどうするか。1つ食材が足りない。そういったことを楽しめるのが名人なのだろう 。 羽生 足りないものをほかから持ってきても、力にはならない。足りなくても何とかする ことで、実力が付く。将棋で大事なのは、遠回りを厭わないこと。あと1枚駒が入ったら 相手玉が詰む。でも、その駒が取れない。そういうときは1枚あれば1手で詰むところを 10手ぐらいかかるつもりでやっていく気持ちがないといけない。 二宮 要するに急がば回れ。遠回りしているようでもそれが実は詰めるための最短距離だ と。 ■「と金」活用術 羽生 日本の将棋は海外の同じようなゲームに比べて駒の力を弱くした。突出した強さを 持っている駒はない。駒の強さのバラツキはなくして、その代わりに再利用のルールを作 った。 二宮 これは人材活用にも言える話だ。スーパーマンはいないが、それぞれが役割分担を うまくすれば組織として機能する。 羽生 あまり突出した人をつくらずに総合力で、という考え方があるのではないか。 二宮 歩も「と金」になったら力を発揮する。 羽生 将棋のコツはと金を作ること。と金は取られても歩だから、実は最強の駒。プロも 対局で一番考えるのは、いかにしてと金を作るか。駒の価値としては、「と金」は「金」 の3倍ぐらいある。 二宮 ベストセラーになる本のタイトルが浮かんだ。「と金で組織を作る」(笑い)。あ るいは「社内でと金を作る」。 羽生 一般社会だったら、と金になった瞬間、違うところに持って行かれるかもしれない (笑い)。スカウトされるかもしれないから、そこが将棋とは違うが、盤上では、と金を つくることが大事だ。 ■リーダーの解決力 二宮 スポーツの指導者で一番大切なものは、解決力だと思う。こうすれば勝てるんだと いうことを選手に示せるかどうか。「3年以内に優勝させる。1年目はこうだ。2年目の 歩留まりはこのくらいだ」といったことを明確に示せる指導者には人が付いて来る。それ が解決力の差だ。頑張れと言うだけではだめ。時間軸を設定できる人が本当のリーダー、 本当の指導者だと思う。 羽生 どれぐらい頑張ったら報われるかが、頭の中に残像として残っていれば、最後の踏 ん張りが効く。 二宮 ゴールの残像が残っている。 羽生 ええ。有能なスポーツの指導者はこれぐらいやれば結果が出るというのが分かって いるから、途中で周囲から何かと言われても、冷静でいられるんだろう、そうでなければ 揺らぎが生まれてしまう。 ■密度濃く、長く続ける 羽生 将来、プロ棋士になる子供はキラッとした何かがある。指し手の善悪ではなく、発 想の豊かさや奥行き、手の組み立て方だ。総合的にまとめ上げる力が大事だ。 二宮 まとめ上げるという点で言えば、企業家は将棋をやった方がいい。将棋というのは 局面の連結決算だ。最後は手のつながりで、1手、2手、3手と相乗効果をもたらさない といけない。 羽生 スポーツの場合、ある練習方法をしなければいけないというものがあるかもしれな いが、将棋の場合、方法はさほど重要ではないのではないかと思う。どんな方法をとって も、ある程度時間を費やせば、長い目で見れば大きな差にはならない。それよりも、いか に密度を濃く、長く続けていくかが大事ではないか。 二宮 ドイツのあるサッカークラブの育成部門の責任者に若者を育てるうえで何が一番大 切かと聞いてみた。彼は「フェアリュックト」という言葉を用いた。「エキセントリック 」とか「狂気」という意味で、よく言えば、「突出した個性」。今の日本社会で一番失っ ているのは、このフェアリュックトではないかと思う。 羽生 突出した才能の原石を持った人はたくさんいる。だから、周りの環境を整えればも っと優秀な人が出てくることは間違いない。これから先は本人の資質も大事だが、周囲の 環境がもっと大切になるような気がする。