「盤外でも王道歩む」羽生王座の強さの秘訣・佐藤康光棋聖 2005-10-13 --- 14連覇を達成した羽生善治王座(右)と佐藤康光棋聖(10月1日、長崎県佐世保市)  「負けました」。1日午後10時23分、投了の意思を告げた。将棋盤を挟み目の前に座っ ているのは羽生善治王座。対局室に報道陣がなだれ込み、私の背中越しにフラッシュの雨 を浴びせた。  私が挑戦した第53期将棋王座戦五番勝負は第3局で幕を閉じた。結果は羽生さんの3連 勝で、王座戦14連覇。同一タイトル連覇の新記録達成を許してしまった。  1969年生まれの私は、70年生まれの羽生さんと1歳違い。棋士養成機関の奨励会では82 年入会の同期で、20年以上の付き合いになる。10代半ば、奨励会3段の時に、私と森内さ ん(俊之名人)は、先輩の島さん(朗八段)から研究会に誘われた。少し遅れて参加した のが、先に四段になっていた羽生さんだった。 オールラウンド型に  当時の羽生さんは、終盤に勝負手を次々放って逆転勝ちする「勝負師」のイメージが強 かった。ところが、19歳で獲得した初タイトルの竜王を翌年、谷川さん(浩司九段)に取 られて無冠になったころから、将棋の質を変えたように思う。  20代前半、主に谷川さんとタイトルを争う中で、相手を意識せず指すようになった。こ れは谷川さんと同様に王道を歩む人の将棋だ。しかも、勝ち負けだけにこだわることなく 、得手不得手にかかわらず、どんな戦型にも挑戦するオールラウンド型になった。将棋と いうゲームの真理を探究する心が強くなったように感じた。  仲間とボードゲームやカードゲームに興じる時も、本質を突き詰めようとする。ゲーム がどういうメカニズムで成り立っているのかを深く考える。その上で、ゲームで負けない ようにプレーする。好奇心旺盛で真摯(しんし)な姿勢は今も変わらない。 中終盤のミスわずか  今期の王座戦では、第2局、第3局で、私が終盤に悪い手を指して負けた。将棋は最後 にミスをしたほうが負けるゲーム。この本質を理解している羽生さんは中終盤のミスが圧 倒的に少ない。  体調管理や集中力が持続する点でも羽生さんは抜群だ。どんな過密日程でも文句1つ言 わない。  今年の1月初め、NHK杯戦の準々決勝で羽生さんと対戦した。羽生さんは渋谷のNH Kで私を負かすと世田谷の自宅に戻らず、そのまま新幹線で栃木県那須塩原市へ向かった 。王将戦第1局の前夜祭のパーティーに参加し、翌朝から2日制のタイトル戦を指して勝 っている。  6月中旬から、棋聖戦、王位戦、王座戦と、羽生さんと私の対決が続いた。2日制の王 位戦は3泊4日、1日制の棋聖戦と王座戦は2泊3日の行程で、全国各地を転戦した。3 シリーズ連続のタイトル戦は私にとって初体験。タイトル戦が週2局という日程が2度あ った。正直きつかったが、羽生さんは毎年、こんな日程をこなしている。  日常からでも、一度取り組んだら断固としてやり遂げる強い意志を感じる。出席日数が 足りず、高校を中退せざるを得なかったが、通信制の高校に入り直して、卒業証書を手に した。ロンドンでタイトル戦が指された時、英語で将棋の説明をうまくできなかったこと を悔やみ、帰国後、すぐに語学学校に通い始め、英会話もマスターしたそうだ。  将来を見通す視点も確固としている。同世代の棋士のほとんどが独身貴族だったころ、 羽生さんは電光石火で婚約を発表した。人生設計より、目の前の対局に勝つことだけを考 えていた同世代の棋士に与えた衝撃は大きかった。私は鷹揚(おうよう)に構えていたが 、その後、羽生さんの影響で、結婚する棋士が相次いだ。 将棋界の未来考える  最近では、経営学や法律の本にも目を通しているそうだ。自分のことだけでなく、将棋 界全体の未来を考えている。これだけ勝っていながら、偉ぶるところがなく、それでいて 第一人者の威厳を保っている。  盤上では負けたくないが、羽生さんのような人と戦えることは誇りでもある。14連覇は 途方もない記録だ。7月に私は棋聖戦で4連覇を果たしたが、2ケタの連覇は想像を絶す る。羽生さんの強さを目の当たりにして、私ももっと強くならなければいけないと体内に 染み渡るように思わされた。(さとう・やすみつ=将棋棋士・棋聖) [2005年10月13日/日本経済新聞 朝刊]