<将棋で勝つには> 将棋は皆勝とうと思って指しますから、例えば120手の将棋では半分の60手を自分が指す のですが、全部正解手を指さないと勝てないゲーム。敗着はコレなんていわれたりします が、その敗着を指して負けてしまった人でもそれ以外の59手は正解手を指しているんです 。そうすると瞬時で思い浮かぶ手の正解手率は限りなく100%に近くないと勝てない。 弱い人同士だと、相手の指した敗着を正確にとがめる正解手を指すことはできないので、 お互い敗着を指しあって、最後に敗着を指したほうが負けになりますが、プロでは、相手 が敗着を指した局面では、その後敗着を指す人はほとんどいません。敗着が指されると、 局面の複雑度が急に下がりますので、難易度が一定以上下がってしまった局面で、正解手 を指せないプロはいないからです。 で、思い浮かんだ手でもすぐ指さずに、本当に正解手かをチェックしているのが考量時間 というわけです。 プロが考えているのは頭の中のバーチャルな将棋盤で読みの作業をやっているのです。 読みの作業も詰むまで読み切れば、最善手がわかりますが、そこに至らない場合、途中局 面の比較になります。この途中局面をどこで比較するか、いくつで比較するかがプロの力 量です。ただ、一見悪そうだけど実はいいなんて場合もまれにはありますから。 NHKで羽生さんが終盤手が震えることは有名ですが、ここで負けたら勝つ将棋が無くな ると言う局面で指す手でも、読み抜けのある可能性が完全にゼロとはいえないことを知っ ていて、なおかつご自身の血液をそのチェックのためにすべて使ってしまうので震えを止 めるなんて無駄なことに使う血がないということでしょう。 ・・・で、大山名人の手なんです。 羽生さんがいう、大山名人の手なんですが、読みの作業をあまりやってないのです。当然 、読み抜けはあるのですが、その読み抜けを相手が見つけるためには、相手は大山名人の 指し手を懸命に読まなきゃいけないんですが、読み切るまでに必要な時間と相手の残りの 考量時間を比べると、前者が圧倒的に多い手を、ぱっと見つけて指されるんだそうで。 いわゆる直感ですけど、NHKで羽生さんが言ってたように、この直感は長年のトレーニ ングの蓄積で生まれるもので、素人の「エイッ、ヤー」とは、まるで違うものなんですけ ど。 将棋の差し手は、形勢が互角のうちには急によくなる手は無いもので、例えば、一手指し てしまった後に局面の複雑度が増大するような手はこういった意味で敗着になりずらい。 ある局面での事前研究の結果を知っていて、その結論を対局中に考えるには持ち時間内で はとても終わらない大量なもので、相手の注文にのって、その変化に知らずに入ってしま うと、そして、それが結果の出てしまっている変化だと、その手を指した瞬間に「お前は 既に死んでいる」という結論になります。 自分の対局で起こりそうな手については、この事前研究をしっかりとしておくのが今の将 棋界では当然です。古い時代で何もしてないで指していた人はたくさんいたのですが、事 前研究をやらずにAクラスにいた、最後の棋士は石田九段。事前研究してなくて、でも対 局時間内の読みの作業を入れて、あるいは優れた大局観で、研究結果と同じ手を3手も4 手もさせるすばらしい天才でしたが、さすがに5手目は間違えてしまいます。 馬鹿な相手がこちらの事前研究に気づかすに結論の出ている変化に飛び込んで来てしまえ ば、それ以降の考量時間は過去の研究結果を思い出すのと、念のために再確認するだけの ために使われます。 馬鹿じゃない相手は、対戦相手の研究にはまらない様に、相手の手を殺すように指してき ますから、馬鹿じゃない相手と指していると研究していない局面が出現します。 この時に、類似局面での最善手の知識を才能的に総合して、どれと似てるかをセンスで感 じて、その結果浮かぶ手を「直感」とおっしゃってます。 達人同士になるとおいそれとは技はかからないので、相手が動いたことによるきっかけで 手を作っていくほうが簡単らしく、ただ、動かれたらそのまま攻め切られてはもちろん負 けなので、局面を無理に単純化してはいけないそうです。 観戦記などでは、羽生さんが相手に手を渡す度胸に感心しているのが多いけど、攻めざる を得ない状況を作り出しているわけで、それで相手が攻めてきてくれれば、それはこちら の術中にはまったわけで、 攻めきれない手順でも、途中までやって手を渡すということが最善の選択であるというこ ともあるわけで、 剣術で言うところの「後の先」ってやつに近いでしょうが、剣術の「後の先」というのは 、相手が打ち込むのを刀の動きより前にその動きを気配で察知して、刀を振り下ろし始め て振り下ろし終わるまでの100分の1秒の相手が無防備(刀は振り下ろしている最中な のでそれ以外には使えない)な時を、狙って攻撃するというものです。 将棋は1手ずつ手番がやってきますので、違うといえば違うんでしょうが、似ているとい えば似ているんでしょう。 <性格・向き不向き> ・頂点を極めるためには、自分の目指すものだけの世界に入っていないと頂点や一流には なれない ・プロ棋士や最強レベルのアマチュアが共有しているフィールドでは意識も想像もできな い世界 ・この性格だと将棋のように絶対評価のある世界じゃない他人の感情が評価基準になって いる世界では、才能を無駄にしてしまう危険が十分あった。棋士に限らず天才には共通す る部分か? <偶然を楽しむゲームは実に面白いがやらない> 竜王になられた時だかのインタビュー記事で、「TVゲームは面白すぎるのでやらないこ とにしました」 将棋とゲームとの違いは、もしくはプロの将棋とアマの将棋との違いは偶然を楽しむ所が あるかどうか。 一部の棋士が好きな競馬も偶然を楽しむゲーム。 羽生さんが一時期やられていたトランプなどをやらない理由はこのことです。 弱いアマチュアの将棋の場合は、無い手を指しても相手は「偶然」とがめ方の定跡を知ら ないので、かえって有利になったり、自玉が必死になってしまう順でも「偶然」相手がそ の順に気づかずにこちらが2手スキをかけて勝ってしまうとか。こじつけですが、偶然に 左右されるゲームといえます。